2012年11月20日火曜日

溺れる鴉

トキユウ


─なるほど。今まで騙していたわけか。
何も知らずにお前をを可愛がる俺の姿は滑稽で、さぞや愉快であっただろうな。
…この次の桜もお前と見るつもりであったが。残念だ。

血の池に、おぼれる魚の夢を見た。

手に残る肉を断つ感覚。響く悲鳴。
頬に飛び散る血飛沫の感覚に瞳を開ければ、近頃ようやく見慣れ始めた天井が目に入った。
閉められた硝子戸と障子の向こうはほの青く、明けきらぬ長い冬の宵を示す。

まだ隣で静かな寝息を立てている花を目覚めさせぬように身を起こすと、
燻る火鉢の火を起こし、煙管を咥えた。
ほんの少し襖を開ければ硝子戸の向こうから冷気が流れ込んでくる。
少しづつ白さを増す空にため息を洩らせば、空よりも白く硝子戸が曇った。

「……んん…お前様?」
隣にトキドリがいないことを知ったユウガヲが、小さく身じろぎをして呼んだ。
 「寝ていろ。未だ一番鳥も鳴いておらぬ。」
その言葉には従わずに、ユウガヲは身を起こして脇に置いた襦袢を羽織ると、トキドリの傍へと寄った。
朝の冷気に小さく身を震わせると、甘えたようにトキドリの腕の中に潜りこむ。
「鳥もまだ鳴かぬ時間に、お前様は何を?」
─悪夢の話等、子供でもあるまいし。
彼女の問いに答えあぐねて、代わりに彼女の口元に煙管を差し出す。
彼女が咥え一口吸うのを見届ける合間、何と答えようか思考を巡らせたが、
代わりの答えも見つからず、結局そのままを伝えた

「…何というわけでもない。ただ…夢を見た。」
「夢?」
「ああ。夢などほとんど見たことがないが、おそらく、ああいうものを悪夢と言うのだろう。
……言っておくが、恐れて目が覚めたわけではないからな。」
付け加えた弁解に、ふふと小さく体を揺らしてユウガヲが笑う。

「お前様の見る悪夢というのは、どのような夢?」
煙管を一口。煙を吐き出すのと一緒に、漸く言葉を吐いて。
「……女を斬った。先日斬った女の夢を見た。夢と言うより、これは記憶か。」
「…懇意にしていた女でありんすか?」
「肌を合わせた訳でもないが、気に入っては居たのだろう。斬った記憶を思い出して、後味が悪いのだから。」
「……その女を、なぜ?」

長い睫毛を伏せ、トキドリの空いた手指を弄びながらユウガヲが問う。
この男が己の事を語るのは珍しかった。
「…裏切ったからだ。俺の情報を敵に流した。最後に何やら弁明していたがな。
もう忘れた。俺を裏切ったのは事実だ。」
淡々と語られる言葉には何の感情も含まれてはいない。

「裏切りは許さぬ。それが掟。己の刃に後悔は乗せぬが、少し、あの女を惜しいと思う心が俺にもあったようだ。…俺もただの虚ろではないらしい。その心地の悪さが、少し、心地良かった。」
 「虚ろ……?」
最後の言葉の真意を図り兼ねて、ユウガヲがトキドリを見上げれば、
この話は終わりだと言わんばかりに、トキドリは窓の外の赤く焼け始めた空に視線を投げた。
「…つまらぬ話をした。忘れろ。」
「わっちは、聞けて嬉しかったでありんすよ。ありがとうござりんす。」

「…ふん。面白くもない記憶だ。忘れさせろ。」
未だ自分の指を弄んでいたユウガヲの指を解くと、トキドリは彼女の襦袢をそっと落し
露わになった白い肩に口づけた。

0 件のコメント:

コメントを投稿